フィンテックなんて、ずっと興味なかった。ましてや銀行なんか。とはいえ、そうやって見ないことにしているわけにも、どうやらいかなくなってきた。
デジタルテクノロジーは、表層からじわりじわりと社会に浸透しはじめ、長い時間をかけて、ようやくその根幹をなすシステムにまで、その「魔の手」を及ぼすに至ってきた。なにも大げさな話でもない、わたしたちの生きるよすがとしてあてにしている「仕事」と「お金」が、いよいよ本格的にインターネットの分散の魔法によって「解体・再編」の局面に入ったということだ。
「働き方改革」の叫び声とともに「仕事」や「会社」を成り立たしめていた前提がぐらつき、キャッシュレスの掛け声とともに、お金をめぐる当たり前が根底から変わろうとしている。別々に起きている事象のように見えて、それはコインの裏表をなしているようにも見える。
とはいえ、そのコインがなんなのかは判然としない。「経済」なのか、「国家」なのか、「法」なのか。はたまた「アイデンティティ」をめぐる深淵なるコインが、そこではぐるぐると回っているのかもしれない。そして、もちろん、これらは関係なさそうでいて、すべてがつながっている。
本誌の話題の入り口はシンプルに「銀行」だが、その姿を再想像することは思っているほど簡単ではない。そこに社会生活に関わるあらゆるものがぶら下がっているからだ。銀行なんてなくなればいい。気持ちはわからなくもないが、長い時間をかけて社会の隅々まで埋め込まれた「血管」を、それだけ摘出するのは難しい。し、無理にやったら相当痛い。
また、それは、どだい経済学の範疇だけに収まるテーマでもない。法学、哲学、社会学、文化人類学にまでまたがって、シロウトの手には負えないほどの知識と思索を要求する。それでもがんばって考えないわけにはいかないのは、それがお金と仕事に関わる話である以上、どこの誰も「自分は関係ない」とは言えないからだ。「次世代銀行 NEXT GENERATION BANK」は、すべての「わたし」の明日に、ダイレクトに関わっている。
──若林恵
(本誌編集長・黒鳥社コンテンツ・ディレクター)