NEXT GENERATION GOVERNMENT

絶賛の声、続々!
ガバメントDXと公共の行方を模索する
革新的ムック、
黒鳥社から2019年12月9日に刊行!
行政府のアップデートは、みんなに関わる重大事。
求む!「あたらしい公共」を一緒に考える人!

NEXT GENERATION GOVERNMENT
次世代ガバメント
 小さくて大きい政府のつくり方
2019年12月9日発売
責任編集|若林恵
制作・発行|黒鳥社
発売|日本経済新聞出版社
本体1,800円+税

Wanted

募集しています!

ご応募、お待ちしております!

NEXT GENERATION GOVERNMENTNGG』の刊行にあたって、NGG』をもっといろんなレイヤーの方に届けるためのキャンペーン、NGG』を利用してご自身のアクションの糧としていただくためのプロジェクトなどを4つご用意いたしました。

1つめは【投稿キャンペーン】です。これからの「公共」のあり方を考える種として、みなさんの〈これからの「公共」へのアイデア〉を募集します

2つめは【レクチャープログラム】です。NGG』に散りばめられた「公共」と「行政」を考えるためのキーワードをテーマにした若林恵のレクチャーのご依頼を募集します。

3つめは【献本キャンペーン】です。よりさまざまななレイヤーの方に『NGG』を届けるために「この人に読んでほしい!」という推薦を募集します。

4つめは【本棚プロジェクト】です。「公共」を支える地域の合意形成のハブとしての本屋さんの可能性を若林恵と一緒に選書しながら探るパートナーを募集します。

いわゆる行政に関わっておられる方以外でも構いません。ご興味を持っていただけるキャンペーン・プログラム・プロジェクトがあれば、ぜひお気軽にご応募ください。

  • 求む!これからの「公共」へのアイデア
  • 求む!『NGG』レクチャーのご依頼
  • 求む!『NGG』を読んでもらいたい人
  • 求む!若林恵と一緒に「地元のための本棚」をつくる本屋さん

もっとマシな社会にしたい。でも、話が大きすぎてどこから考えたらいいのかわからない。そんなみなさんのために。もっとマシな社会にしたい。でも、話が大きすぎてどこから考えたらいいのかわからない。そんなみなさんのために。



全国の「戦う公務員」に贈る!

テクノロジーと社会の関係に常に斜めから斬り込んできた『WIRED』日本版元編集長、さよなら未来』の若林恵が、行政府のデジタルトランスフォーメーション(ガバメントDX)に託された希望を追いかけた、D.I.Y.でオルタナティブな「行政府論

eガバメント、データエコノミー、SDGs、地方創生、スマートシティ、循環経済、インディアスタック、キャッシュレス、地産地消、AI、クラウドファンディング、ライドシェアから……

働き方改革、マイナンバー、ふるさと納税、高齢ドライバー、身の丈」発言、〇〇ファースト、災害、国土強靭化、N国党、Uber・WeWork問題、プラットフォーム規制、リバタリアニズム……

さらにはデヴィッド・グレーバー、暴れん坊将軍、ジョーカー、ヒラリー・クリントン、メタリカ、カニエ・ウエストまで……

縦横無尽・四方八方・融通無碍に「次世代ガバメント」を論じた7万字に及ぶ「自作自演対談」に加え、序論、あとがき、コラム32本を一挙書き下ろし!企画・編集・執筆、全部ひとり! 現場で戦う公務員のみなさんにお届けしたい、D.I.Y.なパンクムック!

NEXT GENERATION GOVERNMENT
次世代ガバメント 
小さくて大きい政府のつくり方

2019年12月9日発売

企画・編集・執筆・インタビュー構成|若林恵
アートディレクション・デザイン|藤田裕美
写真|平松市聖
イラストレーション|新地健郎
制作・発行|黒鳥社
発売|日本経済新聞出版社

本体1,800円+税)

Comments

読者の声

読者から感動の声、続々!

これは(おだやかな)革命の手引書と言っていいと思う。読んだ人は何かを妄想せずにいられないヤバい本だ」

みんなに関係ある」

行政と紐づく諸問題を個々に切り離すことなく、リアルな生活感覚を置き去りにもせず。焦点そのものが、どんどん拡がっていく」

イケてない行政叩きに終始してしまう一般市民の視野を、世界の事例でかっぴらいてくれる」

中高生の人でも読みやすい」

デザイナーの方にこそ読んでいただきたい」

政府で働いているとか、公共に関心あるとか関係なく、組織で働く人であれば何かしら大きなヒントがもらえそう」

小難しいテーマを軽いタッチで書き上げてしまう手腕。仮想対談というスタイルで一冊を仕上げてしまうセンスに脱帽」

誰もが読みやすく、補足資料も豊富な保存版」

超勉強になります」

Contents

『NGG』目次


  1. 公共の現在」

    いま何が問題なのか
    • 1. 公共」はみんなのもの
    • 2. 産業社会のための仕組み
    • 3. 公共」の多様化
    • 4. 多様化のもたらす矛盾
    • 5. 公共を「市場」にまかせる
    • 6. 一長一短
    • 7. 小さくて大きい
    • 8. 新しい可能性
    • 9. 21世紀の「公共」

  2. さらば、スチームパンクガバメント

    行政府」というOSのDXをめぐる試論
    • ・それは郵便事業からはじまった
    • ・悲しき歯車たち
    • ・人間はバグでしかない
    • ・行政府が機能しなくなる時代の行政府

  3. 次世代ガバメントのつくり方

    仮想雑談 ソーシャルコメンタリーとしてのNGGマニュアル
    • ・暮らしが変わってもOSはそのまま
    • ・行政のトランスフォーメーションは急務
    • ・公共をどう維持するのか
    • ・小さい政府と大きい政府
    • ・古い時代のOS
    • ・官僚の悪魔化
    • 身の丈」とライフイベント
    • ・インクルージョンというゴール
    • ・ITガバメントをつくる
    • ・プラットフォームとしてのガバメント
    • ・デジタルIDというインフラ
    • ・ネット空間と国家
    • ・インドの「マイナンバー」
    • ・公共財としてのAPI
    • ・ツリーではなくネットワーク
    • ・ネットワークとしての市民
    • ・共感とシェアのエコノミクス
    • ・輸入置換という考え方
    • ・災害と自治
    • ・効率的で自律的な経済圏
    • ・スモールビジネスを増やせ
    • ・分散主義と循環経済
    • ・デジタルネットワークは閉鎖系である
    • ・私的領域と公的領域の再策定
    • ・新しい「信用」のかたち
    • ・信用スコアは誰のものか?
    • ・ビッグデータとスマートシティ
    • ・トランスフォーメーションの手順
    • ・オープンな基幹システム
    • ・イデオロギーや政党という問題
    • ・実験するための実行部隊
    • ・ユーザー視点の重要性
    • ・ロジックモデルというツール
    • ・再配分は「目的」ではない
    • ・人は腐敗する
    • ・自己責任論とリバタリアニズム

  4. 未来のガバナンスへの対話

    人間中心・プラットフォーム・ライフイベント・ミッション・個人界と集合界
    • 1. 人間中心|起業家精神をもった「賢い行政府」のアクティビズム クリスチャン・ベイソン デンマークデザインセンターCEO
    • 2. プラットフォーム|デジタル政府の新モデル「インディアスタック」 サンジャイ・アナンダラム iSPIRT グローバル・アンバサダー
    • 3. ライフイベント|キャッシュレス先進国フィンランドのデータ・エコノミクス ボー・ハラルド リアルタイム・エコノミー・プログラム、MyData.org 創業メンバー/チェアマン
    • 4. ミッション|データという「公共財」の取り扱い説明書 斉藤賢爾 早稲田大学大学院経営管理研究科教授
    • 5. 個人界と集合界|データは誰のものか?」デジタルガバナンスの再難問 山本龍彦 慶應義塾大学法科大学院教授

  5. ブックガイド

  6. 編集後記

Profiles

著者・インタビュイー プロフィール

著者プロフィール

若林 恵|KEI WAKABAYASHI

1971年生まれ。編集者。ロンドン、ニューヨークで幼少期を過ごす。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業後、平凡社入社、月刊太陽』編集部所属。2000年にフリー編集者として独立。以後,雑誌,書籍、展覧会の図録などの編集を多数手がける。音楽ジャーナリストとしても活動。2012年に『WIRED』日本版編集長就任、2017年退任。2018年、黒鳥社(blkswn publishers)設立。著書『さよなら未来』岩波書店・2018年4月刊行

インタビュイープロフィール

クリスチャン・ベイソン|CHRISTIAN BASON

デンマークデザインセンターCEO。1998-2006年までRambøll Managementにてコンサルタント。ビジネスマネージャーを務めたのち、2007-2014年にデンマーク政府のイノベーションチーム「MindLab」のディレクターを務めた。World Economic Forumの「Global Future on Agile Governance Council」のボードメンバーやEUのパブリックセクターイノベーションの専門家組織の長を務めたほか、デザイン、イノベーションとマネージメント、ガバメントイノベーションの専門家として7冊の著作がある。主著に“Leading Public Design”2017、“Form Fremtiden”2016、“Design for Policy”2014、“Leading Public Sector Innovation”2010)など。

サンジャイ・アナンダラム|SANJAY ANANDARAM

iSPIRTグローバル・アンバサダー。80年代よりインドにてITビジネスの経験を積んだのちに渡米、シリコンバレーでのちにInfoseek/Disneyに買収されたVC「NETA」を共同創業。その後アーリーステージのインド/アメリカの越境テクノロジースタートアップを支援する「JumpStartUp Venture Fund」の創業パートナーに。インド帰国後は、インド発のアントレプレナー向けオンラインメディア「Venturekatalyst」を立ち上げ、現在はソーシャルトランスフォーメーションを実現するためのデジタル公共財の制作を行うノンプロフィットの支援団体「iSPIRT」のグローバル・アンバサダーを務めるほか、TiE Bangalore、IIMB Innovations、Catalyst for Women Entrepreneursなどの組織で役員や委員などを務める。

ボー・ハラルド|BO HARALD

リアルタイム・エコノミー・プログラム、MyData.org創業メンバー/チェアマン。MyData Global Networkのボードメンバー、Real-Time Economy Programの設立者として活躍するほか、スタートアップ企業や政府のアドバイザーとしても活躍。1970年代より銀行業界に身を置き、Union Bank of Finland、Merita Bank、Nordea Bankなどで働く。Nordea Bankでは、バンキングサービスの電子化に尽力し、e-bankingの父」として国内外からの信頼を集める。2005年に退社して以来、インディペンデント・アドバイザーとして活躍。

斉藤賢爾|KENJI SAITO

早稲田大学大学院経営管理研究科教授。インターネットと社会」の研究者。日立ソフトウェアエンジニアリング(現 日立ソリューションズ)などにエンジニアとして勤めたのち、2000年より慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)にてデジタル通貨、P2Pおよびそれらの応用に関する研究に従事。ブロックチェーンや関連技術に関する啓蒙や批評にも努める。一般社団法人ビヨンドブロックチェーン代表理事。著書に『ブロックチェーンの衝撃』未来を変える通貨ービットコイン改革論』不思議の国のNEOー未来を変えたお金の話』2049年「お金」消滅ー貨幣なき世界の歩き方』など。

山本龍彦|TATSUHIKO YAMAMOTO

慶應義塾大学大学院法務研究科(法科大学院)教授。慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート(KGRI)副所長。総務省「AIネットワーク社会推進会議AIガバナンス検討会」構成員、経済産業省・公正取引委員会・総務省「デジタルプラットフォーマーを巡る取引環境整備に関する検討会」委員、総務省「情報信託機能の認定スキームの在り方に関する検討会」委員を努める。主な著書に『憲法学のゆくえ』プライバシーの権利を考える』おそろしいビッグデータ』AIと憲法』など。

Statement

若林恵によるメッセージ

ガバメント・オブ・ザ・
リビングデッド

──「生きながら人生の墓場に入った」
と感じている公務員について
ゾンビ映画が教えること

若林恵

聞けば行政府に関する本というのは、本当に売れないのだそうだ。誰にも、まったく興味をもたれないということらしい。地方公務員も含めると三百万人以上いるというのだから、せめてその人たちが買って、読んでくれたらベストセラーになりそうなものだが、そういうものでもないらしく。

生馬の目を抜くビジネスの世界であれば、やれDXだ、やれUXだ、やれOMOだと新奇なタームを持ち出して、「これからはこれ!」と煽ってみれば時に大きなトレンドを生み出すこともあろうけれど、そもそも競争という概念に馴染まない公共セクターでは、新しいことや次に来たるべきものは食指が動かないのだろう。むしろ、そうした「新しいもの」や「次に来るもの」は、現状を脅かすものとして毛嫌いされているのかもしれない。

そのくせ、政治家も世間も公務員を叩くときは親の敵のように躍起になって叩くのだから、まったく興味がないのかと言えばそうでもなさそうだが、本を買うほどにはコミットしたくもないということなのであれば、空気のように粛々と黙って滞りなく業務を果たしてくれればいいといったあたりが正直なところか。余計なことはすんなよ、と。そして当の公務員もそういう存在として自らを任じているのであれば、そっとしておいてくれというのが偽らざる本音なのかもしれない。

とは言いながら、行政の現場はすでに疲弊しきっていて、財源も人員も増えないなか、人びとの生き方も価値観も欲求も多様化しながら個別化していくとなれば、ひたすら業務が増えてオーバーフローしていくのは目に見えている。

2019年の8月に厚生労働省の若手有志が発表した省内の働き方をめぐるレポートは、中央官庁がブラック企業も真っ青の職場環境にあることを明かし、省内スタッフの「生きながらにして墓場に入ったと思っている」という衝撃的な証言も紹介している。読めば読むほどに「〈働き方改革〉が真っ先に必要なの、あんたらだから!」とつっこみを入れたくもなるが、そういえば、覚醒剤所持で捕まった経産省職員は、残業が月300時間だったと供述していたっけか。

空気のような存在でいてくれるのはよいけれど、そうやって放置しているうちに、そこがいつからか瘴気に満ちた空間になっているのだとしたら、こちらだって、さすがに見て見ぬ振りもできなくなる。大丈夫か、おい、たのむよ、とならざるを得ないのは、行政府の健康は、私たち全員の暮らしの健康に関わる重大事だからだ。心身を蝕まれた公務員だらけの国を、さすがに誰も望んではいまい。ほっといてくれでは済まされない。そんな社会で老い先を過ごすことになるのかと思うと、行政府なんてものに無頓着できた自分ですら、さすがにぞっとしてくる。

というわけで、10年代も終わろうという2019年の師走に刊行したDIYムック『NEXT GENERATION GOVEVNMENT 次世代ガバメント 小さくて大きい政府のつくり方』は、半ば切実な危機感と、半ば大きなお節介から生まれるこことなった。行政府というものを、いまの時代にふさわしいウェルビーイングな感じでつくり直すことはできないものかと、老婆心とともに考えをめぐらせてみたわけだが、ソリューションということで言えば、海外なんかにはすでに役立つヒントはたくさんあって、デジタルガバメントの雄エストニアをはじめ、インド、デンマーク、英国、フィンランドなどの取り組みなどを、断片的にではあるけれど紹介してみたりはした。

と、ここで「ん?」となった方もおられるかもしれないが、世界にすでに先行事例がたくさんあるということはどういうことかと言えば、行政府のアップデートを必要としているのは、なにも日本だけではないということだ。冷静に考えてみればわかることだが、日本の官僚機構や行政府がヤバいことになっているのは、政治家の政策上の判断の愚かさはあったとしてもそればかりに帰するものでもなく、ましてそこで働く人びとの無能さややる気のなさの帰結でももちろんない。行政府のアップデートを、南太平洋のキリバスのような小国ですらエストニア政府のコンサルティングを受けながら取り組んでいると知れば、それは全世界的な課題と見ることができるわけで、それは、つまるところ長らく国家なるものを支えてきたこれまでの「行政システム」では立ち行かないと、およそ世界のどの国でもみなされているということを意味している。

遡ってみればそのシステムは、19世紀に整備されて世界中に広まった、よくてせいぜい工業社会に最適化されたものであって、工業社会をとうの昔に通り過ぎてデジタル社会に到達した21世紀のわたしたちの暮らしに、そんな昔のシステムが適合的であるわけがない。もちろん、そうなるまでの間にも、行政システムを大きくしてみたり小さくしてみたりと、さまざまな試行錯誤があったわけだが、とはいえ、そうしたアップデートではもはや間に合わないくらいに私たちの暮らしは、古き良き時代(というものがあったとして)から劇的に遠くかけ離れてしまっている。

本誌のなかでインタビューを掲載した、政府系のイノベーションラボであるデンマークデザインセンターのCEOは、その著者のなかで、行政府がいま待ったなしで自らをイノベートしなくてはならない、その外的要因を以下のようにまとめている。

1. 生産性の向上の必要性 行政府は、市民からも民間セクターからも税収をより効率的・効果的に使うことを求められている。かのドラッカーは、行政府は税収を最大化することに注力しすぎで、プロダクションモデルの最適化を怠っていると、1985年に指摘していた。
2. 市民の期待の高まり 民間サービスの質が高まり、ユーザーのリテラシーも向上していくと、同じような利便性や快適さ、カスタマイゼーションを行政サービスにも求めるようになる。社会が豊かになればなるほど、サービスに対しても同等の「豊かさ」を求めるようになる。
3. グローバリゼーション クロスボーダー化するビジネスは、教育、学問研究、労働市場、金融などを流動化し、GAFAのようなテック巨人によってローカルビジネスは危機に晒される。グローバル化の恩恵を損なうことなく、いかにリスクを最小化するか。行政府の差配に大きな責任が宿る。
4. メディア 24時間365日、双方向での発信を可能にするデジタルメディア環境のなかで、行政府はいかに正確な情報を市民に提供し、透明性と信頼を保つことができるのか。さらにそうしたメディア環境のなかで、いかに公共活動への市民参加を促すことができるのか。
5. デモグラフィックの変容 高齢化や人口減少は世界的なテーマでもある。高齢者の増加は公共財源を圧迫するのみならず、行政府内での有能な若いスタッフの確保をも困難にしていく。
6. ショック パンデミック、津波、テロ、ハリケーン、金融ショック、サイバー攻撃と、行政府はかつては想像もしえなかった予期せぬ衝撃に頻々にさらされている。予測不能な事態に素早く効果的に対応するために、行政府はゲームのルールを再考する必要がある。
7. 気候変動やSDGs 地球環境の持続可能性は地球規模の課題であり、この課題に取り組むにあたって行政府は重要な役割を担っている。SDGsにおいて掲げられたグローバルゴールを達成するためのイノベーションは、公民かかわらず、あらゆるセクターにとって急務となっている。

言うまでもなく、こうした環境変化への適応は、ビジネスセクターではだいぶ前からはじまっていたことだ。あらゆる民間企業は、デジタルがデフォルトとなった新しい環境に適合すべく、ビジネスモデルから組織編成からコミュニケーションのあり方にいたるまで全方位に180度の変更を迫られ、七転八倒しながら自己変革を遂げようとしてきた。背に腹は代えられない。アップデートはサバイバルと同義だ。

ところが、そうした努力の果てに社会が変わったように見えても、私たちの生き方や働き方を根本のところでかたちづくっている行政システムがアップデートできないことには社会は本質的には変わらない。スマートシティだ、ソサエティ5.0だと、いくら威勢のよい掛け声をあげて、スマートなアプリケーションが出揃ったところで、社会の一番奥底にある骨格の部分がサビだらけの機構であれば、せっかくのキラキラアプリも十全には作動しないだろうし、こうしたシステムの不統一やズレは、やがて重大なクラッシュをさえ引き起こしかねない。

新しい時代の公共インフラの基盤となるべきデジタルIDの普及も、ペーパーレス化もキャッシュレス化もままならず、デジタル署名すらハンコ業界のロビイングによってにっちもさっちも行かないようでは、社会はいよいよ遅滞していくばかりだ。そして当の行政府はといえば、そうやって古いシステムと新しいシステムの狭間で、紙の書類をPDF化するような無駄な作業だけが増えていくことで、生きながら入る墓場となっていく。まさにゾンビランドというわけだが、放置すればしただけゾンビは増えていくというのがゾンビ世界の常識だということを今一度ここで強く思い起こしておくのは悪いことではない。

(ちなみに紙書類に捺印する仕事をロボットにさせるというアイデアは、ゾンビ仕事をロボットにさせているだけであって、むしろゾンビを増やしているだけとも言える。ゾンビを奴隷として使役させればいいという発想そのものが、自分たちをゾンビ化させているということに、なぜ気づかないのだろう)

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1912/11/news079.html

公務員は自ら選んで公僕であるのだから安い給料で死ぬまで国民のために働くべきなのである、と思うのは自由だが、そんなことになれば終局的に困ることになるのは自分たちだということを忘れてはいけない。行政府が、かつてはやれていたようには公共サービスを支えきれないのであれば、道筋はおそらくふたつしかなく、ひとつは、みんなでそれを支え合うか、そうでないなら、公共というもの一切合財を失うか、しかない。

もちろんそんなものを失ったところで構わんよという向きもあろうけれど、本誌では、その立場は取らず、むしろ前者の道筋のなかで、いかに健全かつ安全に社会というものを取り回すことができるのか、その淡く儚い可能性を探ることを旨としている。行政府なんかなくなりゃいいと思ってたら、こんなお節介なムックをわざわざつくることもないわけだが、もっと言うと、なくなりゃいいとの考えが、このままほっておくと結構な確率で叶う願いだと思えば、かりに行政府が破綻してなくなったりしたときにでも、それでもまだなんとか人が安全に暮らし得る社会はありうるのかという問いも、このムックをつくる上で漠然と思い浮かべていたものだ。

それをつらつら考えるにあたっての最大の困難は、小さいのか大きいのか、右か左かといった昔ながらの二元論が、そこから抜けださなくてはいけない牢獄として繰り返し立ち現れてくることだった。そのなかでいくら右往左往したところで、果てしない堂々めぐりを繰り返すばかりになってしまうのは、そうした二元化された対立軸それ自体がこれまでのOSを前提としているからで、それどころか、その対立そのものがそのシステムに養われてきたものだと見切ってしまえば、そのなかでやりあっているのがいい加減無益な徒労にしか感じられなくなっている理由も腑に落ちてくる。ネトウヨだパヨクだと罵詈雑言を投げつけても投げつけても、うようよと相手が湧いて出てくるさまは、なるほどこれまたゾンビ退治にそっくりだ。

折しも、このムックをつくっている2019年11月に、アートフィルムのSVODチャンネル〈MUBI〉でジョージ・A・ロメロの傑作『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が配信されていた(現在は配信終了)。1968年のこの作品は、ゾンビ映画のハシリとして知られるが、単なるゾンビ撃退ホラーではないのが名画たるゆえんとされている。監督のロメロは、本来ならゾンビを撃退したヒーローであるはずの黒人主人公が、ゾンビではなく、味方であるはずの人間によって殺され、ゾンビたちと一緒に処分されてしまうという、めちゃくちゃ後味の悪いラストで作品を終わらせている。

本当のホラーは、ゾンビにではなく、人間の果てしない愚かさのほうにある。ゾンビはここでは「敵」ではなく、むしろわたしたち自身の写し鏡だ。一時的にゾンビに打ち克ったとしても、わたしたちはわたしたち自身を克服できないまま、永遠の愚かさに呪われつづける。MUBIのウェブサイトに掲載された論評はそう綴る。

https://mubi.com/notebook/posts/dead-reckoning-the-american-nightmares-of-george-a-romero

世の中が疲弊してくると、人はとかく外の誰かを悪者に仕立てあげて、疲弊の理由をそいつのせいにして溜飲をさげたがる。そんなときゾンビ化した官僚なんてのは格好の餌食となる。けれども、その結果が結局のところ自分たちへと返ってくるのであれば、自分で自分の生き血をすすっているのとさして変わらない。行政府を袋叩きにするのも結構だが、そのとき自分たちが叩いている相手が本当にゾンビなのか、いまいちどよく考えてみたほうがいい。なんなら、そうやって叩いてる自分のほうこそがゾンビの一群という可能性だってなきにしもあらずだ。

そもそもゾンビは自分がゾンビである自覚はあるのだろうか。あるのならまだ救いもあれど、自分がゾンビ化していてそれに気づかないのだとすれば、これほど恐ろしいこともない。みんなは無事だろうか? って、自分もか。

PHOTOGRAPHS BY ICHISEI HIRAMATSU