ANOTHER REAL WORLD
概要
黒鳥社とブランドリサーチャーの廣田周作さん(Henge Inc.)が企画・運営を手がける「旅とイノベーション」のプラットフォーム。世界の先進的な都市を訪れ、これから人の暮らしが一体どのように変わっていくのかを探ります。若林恵の編集長時代の『WIRED』日本版から続く海外視察ツアープログラムには、毎回15〜20名に参加いただいています。
成り立ち
このプロジェクトは、言うなれば「大人のための修学旅行」ですが、このアイデアの起源は若林が『WIRED』日本版編集長をしていた2015年にまで遡ります。
きっかけは、ゲームクリエイターの水口哲也さんが、「沖縄の阿嘉島でサーフィンと思索に耽る旅に行くけど、来ない?」と若林を誘ってくださったことにあります。もとより水泳が苦手でサーフィンなどもってのほかな若林ではありましたが、「旅先で議論し、考える、インスピレーションを得る」という水口さんのアイデアに感化された若林は、早速それを「滞在型ワークショップ」というパッケージにして売り出すことを考えます。
そして『WIRED』日本版15号の特集「ワイアード・バイ・デザイン」の刊行に併せて行ったワークショップ群のなかのひとつのプログラムとして実施はされたのですが、結局参加者はひとりも現れず(苦笑)、水口さんに『WIRED』日本版現副編集長の小谷氏を含めた、内輪のささやかな旅となりました。とはいえ、きれいな海を目にしながら水口さんと長時間にわたってお話しできたことは、貴重な時間だったと若林は回想します。
こうした出来事と平行して、今度は当時電通で新規事業開発の部門にいた廣田周作さん(『世界のマーケターは、いま何を考えているのか?』、現Henge)から、「座学で知識を得るだけでは身にならないから、イノベーションが起きている現場を訪れるようなツアーをやれないか」という提案を受けることとなりました。そこから、「WIRED REAL WORLD」という海外ツアープログラムがスタートします。
なにせツアーの開発などやったことありませんから、試行錯誤だらけでしたが、最初の行き先をエストニアのタリンに決め、行政のデジタル化の実際やスタートアップ企業などを訪問しました。現地のコーディネーションは、エストニア政府元官僚で現在は日本で暮らすラウル・アルキヴィさん(GIG-A Bank創業者・CEO)が引き受けてくださり、それなりに充実したプログラム内容ではあったのですが、最初のツアーは、参加者1名という惨憺たるありさま。とはいえ、その参加者の方とは、いまなお親しい交友関係にあり、特に哲学者の岡本裕一朗さんとのプログラムには必ず参加してくださっています。
1回目は大赤字のプログラムではありましたが、その後、再度エストニアを訪ねたツアーを皮切りに、中村寛子さん(現Fermata)に運営サイドに参画いただいたことで、企画は徐々に軌道に乗りはじめ、WIRED時代には、ベルリン、イスラエルなどを訪問しました。約1週間みっちりと参加者とともに過ごすプログラムは、それなりに腹を割ってビジネス上の悩みなどを分かち合える場となります。密度も濃い時間を過ごすことを通して仲良くなった方たちとの出会いは、仲間を見つける絶好の機会となるだけでなく、お互いにとって新たなビジネスチャンスになることも徐々にわかってきました。
そうした観点からも、黒鳥社の設立当初より、ツアープログラムは重要なコンテンツの柱となってきました。パンデミックによって中断を余儀なくされるまで、タリン・ヘルシンキ、アルメニア・ジョージア、オースティン、上海・深圳、そしてロンドンと、計5回のツアーを実施しました。
中国ツアーでは、UXコンサル企業ビービットの副社長の中島克彦さん(エストニア・ツアーに参加いただきご縁ができました)と藤井保文さん(『アフターデジタル』ほか)にもコーディネーターの一員としてご同行いただき、夜は夜で、Studio Voiceのアジア三部作で編集を手がけた編集者/カメラマンの石神俊大さんが、上海・深圳のクラブなどを案内してくださいました。
ロンドンツアーは「新しい音楽の学校」のレクチャーシリーズ番外編の位置付けのツアーとなっており、ボードメンバーの3名、柳樂光隆さん(Jazz the New Chapter)、岡田一男さん(現うぶごえ)、ジェイ・コウガミさん(All Digital Music)が帯同しました。その土地の「現在」をよく知る案内人がいることで、遠くで聞き知っていたことが、より高い解像度で理解することができるようになります。
また水口さんや廣田さんがおっしゃった通り旅先は、さまざまなアイデアを生み出す場所になるというのは本当で、若林がブロックチェーンに興味をもったのは、エストニアのツアーがきっかけでしたし、佐久間裕美子さんとのポッドキャスト番組「こんにちは未来」のアイデアが生まれたのはオースティンのツアーにおいてでした。
編集者がツアープログラムを、というと飛躍があるように思えるかもしれませんが、「雑誌の取材を大人数で行うようなもの」だと若林は考えています。であればこそ、本当は、旅ごとに雑誌のようなものにまとめたい、と毎回思いはするのものの、旅が終わってしまうと虚脱して、なかなかそこまで手が回らないのは、もったいないことです。今後の課題です。